第33回 喧嘩もあるけど、笑いもあるのさ 田中尚人
2008/11/05 水曜日
生き物には各々、個体距離というものがあり、ある一定以上近づくと警戒心やストレスを感じることになる、というわけらしい。
同じ広さのケージで飼うラットの個体数を徐々に増やしていくと、それに比例して攻撃的になり、病気も増えて、個体ごとの免疫力、つまり生存能力が低下し、さらに怖いことには生殖力が低下して個体数が減っていく、という実験結果を読んだことがある。
まるで、今の日本みたいな話だ。
あかの他人同士が家族以上にぴったりと身を押し付けあって、換気も悪い密閉された電車内では、確かに怒りが溜まりやすい。
そのせいか、電車内特有の不思議な人々を観察することもできる。
- とにかく小競り合いが多い。
- 吊り革に異常な不潔感を覚える女性がいる。
- ヘッドフォン+ゲームで周囲を遮断している人。
- 女性の9割は、ケータイ。
- 電車内だけで化粧する公開型メイクアップ。喫茶店やバスではやらない。
- 夕刊紙の芸能記事に夢中になるオッサン。
- 英字新聞や経済紙をスマートに読むキャリアっぽいレディース。
- 座ると即座に目を閉じて眠る人。
職場も似たようなもので、狭いフロアにデスクを並べて仕事しているサラリーマンが、心の病気になりやすく、体力的にも疲れやすくなることにも合点がいく。
だから、電車内と同じく、会社内でしか観察できない人々も生息することになるわけ。
- 部下にわざとキャパ以上の負荷をかけて、パニックの限界を試す上司。
- 会議資料の内容よりもフォーマットにこだわる上司。
- 会議中は、うつむいて沈黙している割に、飲みに行くとやたらに独自の裏読みを解説し、あの時俺はこう考えていた、こう言ってやればよかった、と饒舌になる同僚。
- 恫喝することで部下が育つと勘違いしている上司と、へりくだることで従順さを表現する部下。
- 相手によって瞬時に豹変する多重人格。
- 自分の業務以外のことをやらされることに神経質な派遣さんタイプ。
こういう人たちは、友人や家族にはそういう姿を見せていない場合が多い。
まぁ、そんなこんなで、狭い環境は、心とカラダに良いわけがないのだ。
僕にしても池袋や渋谷の雑踏を歩くだけで、やたらに疲れる気がするし、エレベーターに乗ると、どうも落ち着かない。
新幹線や飛行機の3人掛けシートの真ん中に座らされたりすると、それだけで息苦しさを覚えてしまう。
だからといって、ストレスや怒りが溜まりやすい都市生活から離脱すれば、平安が得られるとは限らない。
となれば、怒りや不平不満などの屈折したネガティブなマインドを、どうにか中和させる努力をするしかない。
その中和剤は、やはり「笑い」じゃないかと思うわけ。
パパ’S絵本プロジェクトのお話会や、ソロ講演の会場での話。
表情が固まっててちっとも笑わない親子が、なんだか増えている気がするのだ。
皆が大笑いしている時に、憮然として瞬きすらしてないのでは、と思えるような子どもがいて、その笑わない子どもの横には、決まって笑わないママやパパがいるのだ。
もちろん、僕らのパフォーマンスがつまらん、ってことが最大の理由かもしれない。
だけど、子どもの屈託のない笑い声って、周りの大人も笑顔にするよね。
腹がよじれて涙が止まらず、これ以上笑うと酸欠になっちゃいそうな面白いことを経験すると、なんだか心が軽くなるし、その笑いは後々思い出し笑いのネタにもなるんだよね。
そんなネタのライブラリーを家族で共有していると、笑いのスイッチも入りやすくなるはずなのだ。
そういう大爆笑ネタは、なかなか演出できるようなものではないけれど、日々の軽い笑いや微笑みが、硬くなった頬の筋肉を緩ませるエクササイズになるはずだ。
カラダを使った体育会系の遊びは、父親の出番とよく言われるが、だったら顔の筋肉ストレッチだって、お父さんの出番であるわけだ。
この際、気味が悪いと言われようが、浮気でもしているのかと疑われようが、まずは、家族が寝静まったら鏡と向き合って笑ってみることだ。
お父さんが率先して笑顔を作り、どんな些細なことでも女子高生みたいにキャアキャア笑うクセをつけてみたらどうだろう。
子どもと遊ぶ時は、寄り目だっていいから、いつでも変な顔ができるようにする。カミサンとおしゃべりする時は、昔付き合ってた頃の失敗談などを二人で思い出して一緒に笑いあう。保育園の子どもたちには、ホラ話の一つや二つ、用意しておく。会社の女の子たちには、ダジャレではなくて、ユーモアや辛口のジョークを飛ばす。などなど。
だいたい、笑いのない人は、心の余裕を感じないから、どうも付き合いづらいしね。
ま、やりすぎると軽いヤツだとレッテルを貼られてしまうかも、だけど。
そういう僕は、笑い声もでかいけれど、怒ったときの怒鳴り声も大きいので、たぶん家族にとっては、感情不安定で迷惑な存在に違いない。
5歳のアイクからは、『トウサンハ、コワイケド、オモシロイ』とよく言われる。
『君たちが一人前になったら、父さんは怒らなくて済むので、年中笑って生きていけるのだ』と僕はいつも言い返している。
怒りにしても、笑いにしても、大泣きにしても、ときには人を傷つけたり、一緒に腹を抱えて笑ったり、泣きつかれて気が楽になってぐっすり眠れたり、周囲を巻き込みながらも、僕らは生きている実感をやっと得られるのかもしれない。
それは感情を表に出さない限り決して得られないものだ。
怒りだけが渦巻く家庭も想像したくないが、笑顔だけの家庭像もどこか嘘くさい。そのどちらにも行ったり来たりできないと、成仏できないお化けみたいに表情のない世界になってしまう。
きっと、傷ついたり笑ったりすることで、心や気持ちが表れた表情を交換しあい、僕らは自分を知ったり、他人を思いやったりすることができるのではないだろうか。
ということで、電車内でゲラゲラ笑うことは、おススメできないけれど、家庭ではもちろん、会社でも、「田中パパって、笑顔が素敵ですね」って言われてモテるようなオッサンになりたいもんだ、とまとめてみよう。


2件
笑う母
2008/11/06 11:06
ほんとにそうです! パパがご機嫌だと、家中が明るくなります。
反対に、不機嫌だと、家族全員が暗くなって、ご飯も早く終わってしまいます。
かといって、パパのご機嫌を気にして生きていくのは、確かにストレス。外ならともかく、家でストレスが溜まるのって嫌ですね~。
うみ
2008/11/09 20:59
子どもって、本当に「こんなことで・・・」と
思うようなことでよく笑ってくれますよね。
つられて親も(昔とった杵柄?)ギャグなんて
いっちゃったりして。
やっぱり「笑う門には福来る」ですな。