第35回 中坊とのコミュニケーション法 田中尚人
2008/11/19 水曜日
誤解を承知の上でカミングアウトするが、子どもがカワイイと本気で思えるのは、3歳ぐらいまで。せいぜい引っ張っても小学校に上がるまでぐらいなんじゃないかなぁ、と僕は思っている。
小学生以上の子どもたちに愛情がないわけではない。
ただ、単純に、靴下やTシャツの小ささに微笑んだり、ふわふわでつるんつるんの頬っぺたに頬ずりしたくなったり、一挙手一投足に夫婦間で密かに笑顔を交わしたりできる、そんな可愛らしさのことだ。
しかし、法律的には、なんと20歳の成人になるまでは、保護者という重い看板を背負っていかなくてはならず、つまりカワイイのが6年間、カワイくない期間が14年間もあるってことになる。
よくよく考えると、これはタイヘンなことだ。
カワイければ我慢もできるが、カワイくない子どものために、14年間も夫婦水入らずの時間や機会を犠牲にしなくちゃならないのだ。
新婚旅行以来、夫婦で旅行にも行けない、帰宅時間を気にせずにしゃれた店で夕飯を楽しむこともできない。映画のナイトショーもライブも前々から段取りをしないと無理だ。
子どもが巣立って、ようやくそんな機会が来ても、それはフルムーンだの、熟年旅行などという薄気味の悪いレッテルを貼られてしまうのだ。
それでは遅い。なんだかタイムアウトって感じがするのだ。
法律の養育義務はともかくとして、早いうちに家に愛想をつかしてもらい、独立してもらうにこしたことはない。
野菜や果物だって、熟す前に出荷しないと美味しくならないわけだから、子どもだって、オトナになってから出荷、つまり旅立たせても遅いのだ。
他の哺乳類と同様、子が成長するにつれ保護養育対象としての興味を失うことで、子を群社会から独立させ、自分たちは新たな子孫作りに励むのが、僕らの遺伝子に組み込まれた本能とも言える。
ついでだけど、大概の哺乳類の赤ちゃんはカワイイ。犬も猫も熊もライオンだって、授乳期がカワイイ、何とかしてあげたくなる、と感じるのも、赤ちゃんが発する「頼りないからどうにかして」光線を「カワイイ」と翻訳する本能のなせる技といえるらしい。この光線は、授乳から幼児期以降は打ち止めになる。
と、愚痴やら雑談から始まってしまったが。
とにかく子どもたちが家を出てくれるまでは、ある程度の忍耐や犠牲は覚悟しないといけないようだ。
どうせそういうことならば、楽しくやらないと、「お前のために、やりたいこともできずに我慢して生きているのだ」的な嫌みったらしくいじけた性格になってしまうか、「あなたのために生きているのよ」的な滅私奉公の白衣の天使を決め込むしかなくなる。
田中家には、現在14歳中3の長男がいる。
ご多分に漏れず、いつも機嫌が悪く、何か話しかけても面倒くさそうに必要最低限の受け答えしかせず、小言を言おうものなら、とたんに悪鬼に豹変する。食事中もムスッとしているわりに、異常に食う。
僕のダメなところだけが目につくらしく、どえらく見下げた表情で僕を睨む。
とにかくカワイくないのだ。
これに比べ、5歳の次男は、まだかろうじて「カワイイ」光線を発してくれているのだが。
そんな長男と無理をしてコミュニケートを図っても益々機嫌が悪くなるだけだ。
以下は悪い例。
「最近、学校はどうだ?」→「ああ」
「勉強、うまくいってるか?」→「まぁまぁ、かな」
「友だちとうまくやってるか?」→「ふつう」
こんな会話は、益々ドツボにハマるだけでなく、そもそも会話が成り立っていない。
これを自分に置き換えると、
「最近、会社はうまくいってる?」→「まぁ、いつも通りだな」
「社内の人間関係はスムーズ?」→「まぁ、ぼちぼちだな」
「仕事は、楽しい?」→「まぁ、普通だな」
と、まぁこんな感じになる。
要するにそれ以上は会話が進まないような、実も蓋もない質問をしているのだ。
時には放ってほしい場合もあるので、たまにはそういう質問や回答で茶を濁すのも分からなくはない。
だけど、無駄な質問は、不毛な時間を生み出すだけだ。
前回のブログでは、まずはお父さんが自分から笑うことと、家族の頬の筋肉を緩めて笑顔が生まれやすい環境整備をするのも大事と、書いた。
会話もまったく同じ。
まずはお父さんが自分のことをしゃべればいいのだ。
営業マンのための実用書には、良い質問が良い会話を導くと書いてあるが、それは仕事上の理想に過ぎない。
中坊相手にはまったく通用しない。
まずは、自分のことを話す。
返事なんて必要ない。分かってくれなくても、とりあえずは、いい。
今、仕事で取り組んでいることが、どういう評価を受けているのか、どんな困難やトラブルがあって、それをどのように解決しているのか。
昨夜の飲み会で、どんな面白いヤツに出会い、どんなつまらんヤツに愛想を尽かしたのか、どんな会話をしたのか。
夢やロマンの話だっていい。
どんな国を旅行して、何を見たり何を食べたり何を感じたいのか。
子どもが独立したら、いつかは2シーターのライトウェイトスポーツカーに乗りたい、乗るならやっぱりMGかロータスだよな、なぜかっていうとさ・・・みたいな。
肝心なことは、「昔は良かった」「俺はこんなに偉い仕事をしてるのだ」的自慢話ではなく、ごく自然に自分の今を語ればいいのだ。
「俺がお前の歳のころは」で始まる話は、極力避ける。
もちろん、そんな話をし続けることで、気むずかしい中坊が、朗らかに受け答えするわけはない。
だけど、食卓にいる限りは聞きたくなくても耳に入ってくるわけ。
で、機嫌がいい時は、僕が困っていることについて、「そういうのは、こうすればいいんじゃないの」「そのネタで本を書けば?」あるいは「それは父さんの悪いクセで、一言多く言って、相手を怒らせたんじゃないの」などと突っ込みというか、会話参加してくることになるのだ。
この時を逃さずに「おっ、鋭い意見だなぁ。でもそうすると、次にこういう面倒が持ち上がるわけよ、それはどう考える?」などとゆっくり進めていく。
気がつけば、中坊と妻を巻き込んだ会話が生まれている。
5歳のアイクも必死で「トウサン、本ヲ カクトキハ アイクガ 絵ヲカクンダカラネ」などとついてくる。
自分自身を曝すことで、ある程度はバカにされたり、笑われたり、批判されることは覚悟しておく。
それが話題作りになるのなら、ピエロは必要なのだ。
それに、そこで会話が生まれないとしても、僕の今をプレゼンテーションすることで、怒ったりバカをやったり、夕飯を作ったりするだけじゃない、昼間の姿を知ってもらえることになる。父親の実像が見えやすくなるはずだ。
僕は、自分の父がどんな職業なのかは知っていたが、彼が会社で何をして、日々何を悩み、喜び、何を楽しみにして生きているのか、全く知らなかった。
母からも聞くことがなかったから、仕事に行くってのは、そういうもんだと思い込んでいたし、知らないから、興味も生まれなかった。
先日、長男の文化祭に出かけた。
彼のクラスは「職業調査」がテーマだった。
予め分かってはいたが、彼の調査対象は、「僕」だった。
絵本の流通システムや利益配分などについて簡潔にまとめてあった。
調査段階でインタビューもあったが、複雑な書籍流通について、彼がこれだけすっきりと分かりやすくまとめられたのは、日常的に聞かされて耳にタコができていたからなのか、と苦笑しつつもなんだかくすぐったいような嬉しさも感じた。あと数年は、付き合ってやるか、と一人頷いてしまった。


1件
みー
2008/11/26 08:47
パパ’Sのファンです。
毎回楽しみにしています。
男性側からの見方って、ずいぶん違うんだな~って笑ったり、納得できなかったり・・・。
でも小学生のコドモは、赤ちゃんの時に比べたら、やっぱりカワイクないですっ。田中パパの正直過ぎる発言、共感しました!