第38回 堅苦しくてごめんなさい~ブログ最終号、最後の本音~
2008/12/10 水曜日
子育てや夫婦間について6回連載で書いてきたブログも今回が最終号。未だ伝え切れていない事をランダムに短編集的に、そしてクソマジメな内容でお送りします。
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●● 親と子 ●●
子供は、甘やかして育てる?
それとも、親は子に厳しいほうがいい?
● 甘える
子供に甘い親と、甘えてばかりの子供。
なんかこれって、否定的に使われているケースが多い。確かに甘やかし過ぎは、親にとっても子にとってもよろしくないだろう。
でも、「甘え」とは、周りの人に好かれて依存したいという日本人特有の感情で、ある面、日本人の良さを表しているとも言える。
無理だと思っていても、あえて親に難題を投げかける子供。
精神的にも実務的にも、先輩に助けてもらっている後輩。
年下は年上を敬い、年上は年下の面倒をみるというタテ社会。
これら甘えと依存は、欧米人に比し日本人の良さでもあり、その人間関係は甘えの中にいる親子関係から生まれたものだと思う。
ちなみに、「甘え」という意味に対応する適切な英語は無いらしい。
そして、ギスギスした社会、ドライな人間関係、成果主義型の企業において、苦しみ、不況の最中に行き場を失っている人々が、英語圏の国の中には多くいるというのが現状だ。
● 抱きしめる
親が子供に「甘え」の場を提供する手段である「抱きしめてあげる」は、理屈抜きで、子供のありのままの姿を受け入れてあげることにもなる。
『貴方のこういうところがダメ!』、『もっとちゃんとやりなさい』みたいに、日々子供を叱るのも親であり、それは必要なこと。
だからこそ、そんな「抜けている部分がある」子供を、全てありのまま受け入れるという姿勢も同時に必要となるのだろう。
子供(特に小さい子)は抱きしめられると、心がほぐれリラックスする。
また、自分の居場所や逃げ場を見つけられ、安心もする。
だから親としては、子供をたくさん抱きしめて愛情を注いであげたいものだ。
● 厳しさ
こう書くと「子供を甘やかすばかりで」という批判を受けそうだが、もちろん、甘やかすばかりではダメである。やはり子育てには、甘やかす事と厳しくする事の「バランスの取れた両立」が必要なのは言うまでも無い。
では、どうやればバランスが取れるのだろうか?
どのような場合は甘やかし、あるいは厳しくするのがいいのだろうか?
私の場合、社会や家庭の「主要な」ルールを守ることと、ちょっとした成長をしようと少しでいいから日々努力することと、人間性や優しさを身に付けることについては、子供に対し厳しさを出し、逆にそれらさえ遂げていれば、あとは甘えを許している。
事細かなルールにまで厳格さを出すと子供は窮屈な人生になってしまうだろう。
大きな成長を短期間で無理してやらせようとしても子供は逃げ出してしまうかもしれない。
人間性や優しささえ身に付けていれば、人は大人になっても何とかやっていけると思う。
● 役割分担
甘えと厳しさは、パパとママ、両親と祖父母などで、役割分担をするのも得策だろう。
パパとママが一緒になって、同じ観点で、子供に厳しさを出すのはあまりよろしくない。また同じことについてパパとママが同時に子供を叱るというのも避けたいものだ。
パパが厳しい事についてはママは甘く、ママが小うるさい事についてはパパは寛容になる。
ママが叱っている間は、パパは広い目で見てあげ、パパが怒鳴っている時はママが逃げ場になってあげる。
この役割分担は家庭によって内容が異なることだろうし、時と場合によっても違ってくるだろうが、パパは社会のルール(規範)や人としての成長について厳しく、ママは家庭のルールや人としての優しさについて厳しい、というのが一般的だと思う。
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●● 妻と夫 ●●
そもそも夫婦って?
あるべき夫婦像とか理想の夫婦とは?
● 異質なもの
結婚すると、いわゆる「異質」なものが1つの家の中に納まることになる。
そして人間は、「異質なもの」を排除しようという本能が働くため、結婚当初気が付かなかった異質性が徐々に目に付くようになるに従い、排除したくなる気持ちも高まってくるのだ。
そもそも血も繋がっていない、偶然出会った他人と一緒に住むのだから当然と言えば当然で、離婚理由の第一位が「性格の不一致」というのも理解できる。
性格の不一致まではいかなくても、夫から妻への、またその逆も不満だらけっていう夫婦がたくさんいる。
妻への不満として多いのが、言動が気に食わない、料理が下手、小うるさいなど。
夫への不満としては、家を省みない、横暴で自分勝手だ、ダサいなどを耳にする。
● 受け入れる
この異質なものと平和に幸せに暮らすには、何が必要なのだろうか?
それは「相手の立場を尊重し、相手の意見を一度腹に落とし込む」という「受け入れ」の態勢を持つことだと思う。
決して、相手の言いなりになり自分は犠牲を払うばかり、などということではない。あくまで相手への「思いやりと理解」を示すことだ。
逆に言えば、いつも自分主義、天動説、利己的利益追求だと、夫婦どころか、人間社会の中でまともにやっていくことすら難しいだろう。
妻の料理が下手なのは、夫と妻の好みが違うだけなのかもしれない。
妻が小うるさいのは、より良い夫になってほしいという気持ちの表れかもしれない。
家を省みない夫は、それだけ必死に家庭を守ろうと会社で働いているのかもしれない。
自分勝手な夫の態度は、妻へ頼り甘えたい気持ちが行動に出ているだけかもしれない。
● 認め合う
もう一つ、夫婦生活で重要なことは、「相手を認める」ことだろう。
妻が、一生懸命料理を作っているのであれば、まずはその努力を認める。
夫が、不器用ながらも家事を手伝っているのであれば、その姿勢を認める。
妻の苦言にムカついた場合でも、違った側面で見るとその意見は正しいはずだ。
夫が暴言を吐くのは彼の中にストレスがあるからで、その要因を一緒に探ってあげる。
何か意見や提案を言ってきたら、「ノー(否定)」から入るのではなく、「イエス(肯定)」から入るのもいいだろう。『今晩くらいはお寿司食べにいかないか』という夫の提案に対し『そんなお金どこにあるの!』ってピシャっと否定しないで、『たまには外食いいわね。でも今月苦しいから来月にしない』など、いわゆる「Say yes, but…」で入るのだ。
● 異なっていて当たり前
あと、趣味や意見が夫婦間で異なっていることに不安や不満を持っている人がいるようだ。「なんか考え方が違うのよね」とか、「週末に一緒に過ごせる共通の趣味が無い」とか、「子供の教育方針がいつも対立する」など、中身は様々。
でも、あくまで異質な2人である。趣味も意見も異なっていて当たり前で無理して合わせることはない。
子供にとっても、夫婦の意見や考え方がいつも同じというよりも、異なっていたほうがいいだろう。中学進学で妻はお受験を夫は地元中学を、と対立する話をよく聞く。どちらがいいかの判定は難しいはずだ。そんな時、あくまで両親は自分の考えや周辺環境を子供に話し一緒に議論し、最後は子供の意見をいかに引き出すかにフォーカスすべきだろう。
夫の後ろを妻が歩きその後ろに子供をついてこさせるよりも、妻は右側で夫が左側を歩けば子供が歩ける自由度は相当広がるはずだ。両親ともに上昇志向だと子供は疲れ果ててしまうかもしれないが、上昇志向の夫と現状満足の妻だと子供なりに試行錯誤し自ら行動を起こすようになるはずだ。
違って当たり前、異なっていて当然。これは夫婦で幸せな生活を送るためだけではなく、子育て上も重要なことだと思う。
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●● 親のしつけ ●●
親の役割である「子供への躾(しつけ)」。
子供をしつける前に、その本人たち(親のこと)も、もっとしつけられるべきなのかも。当然、私本人も含めて。
● 道路で
通学時など道路での交通事故を心配し「遊ばないで歩くのよ」と子供を注意する母親。
しかし、母親本人が携帯打ちながら歩いたり、車が通ってないからって赤信号を無視して渡ったりしている。
子供は親のことをよく見ているのだ。
忙しいから歩きながら携帯打ったり信号無視したりしたくなるのもわかる。でも、その姿は必ず子供に見られていると思ったほうがいい。
● 電車で
道路と同じく、電車の中での態度や行動にも、もっと気を使いたいところだ。
「車内で騒がないの!」と子供に注意している母親本人が、お母さん同士だとぺちゃぺちゃ大声でしゃべり周りに大迷惑かけている。
「マナーを守れ!」と子供を叱っている父親本人が、会社帰りの車内で隣に女性や小さい子がいるにも関らず、下品なスケベ新聞を広げて読んでいる。
ぺちゃぺちゃ大声出すなら駅前のカフェに飛び込んでからにして欲しい。下品な新聞読むのはカフェのトイレで済ませて欲しい。
● コンビニ
下品な新聞を電車で読むよりももっとよろしく無いのが、コンビニの雑誌コーナーで周りに女性や小さい子がいるのを気にもせず、堂々とエロ本を読んでいるお父さん。
あと、たまにはいいが、週何回も夕食をコンビニ弁当で済ませているお母さん。
いずれも、コンビニという「近所の便利スポット」が出来た弊害でもあるが、親として少しは考え直すべきなのではと思う。
● 深夜営業
コンビニにも増して深夜営業しているのが最近の子供たち。
そんな中、深夜まで小学生以下の子供と、一緒になってTV観たりPCで遊んだりするのも考えものだ。10歳に満たない子供が深夜番組の内容をしゃべっていたりするのを耳にすると、なんか気持ち悪くなる。
また、夜12時を回っているのに、居酒屋で幼児を連れている親を見かけることが多い。何か特別な日とかどうしようもない事情があった場合は仕方ないが、夜12時だぜ!
睡眠が少なかったり睡眠時間が不規則な子供は、成長に著しく悪影響を及ぼすことは、常識中の常識なのだが。
● 弱い人に強い
子供へ見せてはいけない最たるものの一つに、親が「弱い立場の者に対し威張ったりイジメたりすること」があるだろう。
例えば、駅員に対し怒鳴り散らす酔っ払い、ファミレスの店員に命令語を放つ大人、会社でのパワハラ上司などは言語道断だ。
高級時計や宝飾品を身に付けた人が貧乏臭い人を馬鹿にしたり、自分より学歴の低い人へ上から目線で接するのも同類だろう。
沖縄に旅行した際、宿泊していたホテルのボーイ(と言っても50代)に対し、子供(多分中学生)が「おい、これ持てよ」って命令していたのには驚いた。彼は間違いなく大人になっても他人から嫌われる人生を歩むことだろう。
● 他人批判
同じようなこととして「批判」ばかりをする大人がいるが、これも子供の教育上悪影響ばかりだ。
隣人批判、会社の同僚批判、更には夫や妻批判などの「他人批判」。
買った物や食べに行ったお店などの「物的批判」。
いずれも、批判したくなる気持ちはわかるし、第一、批判されるべくしてされている人や物も多い。
でも、他人や物の批判ばかりしている親を見て育った子供は、どんな性格の大人になるのだろうか?
少なくとも、一緒に仕事をしたくなるタイプにはならないだろう。
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●● 子のしつけや教育 ●●
子供へのしつけにはルールがある。
しかし、ハウツーは必要ないと思うが、どうだろうか?
● ボタン
子供に対し「このボタンを押せばこうなる」、などと考えている親はいないだろう。
しかし、実際にはそれと同じ感覚で、子供へのしつけや教育をしている人もいるのではないかと思う。
「私は違う」という方に一つ質問をしてみたい。「ハウツー本に頼っていますか?」と。
ハウツー本って、ただ単にボタンの数が多くなり、方程式が複雑になっただけで、結局はデジタルというか、画一的というか、個性が無いというか、機械的な気がする。
恋愛時代を思い出して欲しい。私の時代なら男性誌として流行ったHot Dog Pressがデート向けハウツー雑誌だったが、「女性が足を組んで斜めに座ったらOKなサイン」などというハウツーを信じて痛い目にあった男性はゴマンといるだろう。「彼女の心を射止めるための口説き文句」をそのまま暗記して当日ぎこちなくなった経験もあるはずだ。
要はそれと同じで、子育ても子へのしつけも、ハウツーもので上手くいくはずがないし、上手くいくためのボタンなども存在しない。
● 本当の理由
子供を育てる上で、ハウツー本ばかりに頼っていると、本質的なところに気が付かなくなるというリスクもある。
例えば、“切れやすい子供には有機野菜を食べさせよう”というハウツー。つまり有機野菜=子供を切れにくくするという公式であり、有機野菜は子供を切れにくくするボタンなのだ。
でも、別に有機野菜を食べさせなかったことが要因で子供が切れやすくなったという関係式では無いように思う。親の愛情に飢えている、もっと構ってもらいたいと欲している、何でもコンビニ等で買ったものばかりを与えられてきた、などが子供が切れてしまう本当の理由なのかもしれない。
更に、ハウツー自体が大きな間違いの場合も多いだろう。
“100点とったら好きな物を買ってあげよう”というハウツーを目にした時には仰天した。
勉強や努力の成果を物やお金で交換するというのは、最も避けるべき手法のはずだ。
● 自分のせい
一方、子供の教育やしつけについて、何でもかんでも親である自分のせいにしてしまうのも、出来る限り避けたほうがいいだろう。
「片付けをしない」、「志望校に不合格」、「夜遊びする」など子供の現状に対し、私たちが悪い、私の教育が間違っていたと悩んでしまう親。確かに100点満点の親じゃなかったのだろう。でもそもそも100点満点の親なんているはずがないし、第一、子供は独立した人格を持っていて、親の「後天的」な教育だけではいかんともしがたいことも多くある。
また、自分で自分を苦しめてしまうと、子供自身も更に苦しんでしまう気がする。
もっと気楽に親業を楽しみ、多少の失敗には目をつぶること。いや、失敗と思っていることは子供にとって本当は失敗じゃないかもしれない。そのくらいの気持ちでもいいのではないだろうか。
● モノサシ
子のしつけや教育で、親が「自分のモノサシ」を持っているということも重要な項目の一つだろう。
モノサシ、つまり自分流の定義、流儀、価値観のことだが、要は他人やハウツー物に左右されずに、また軸がぶれないように、しつけや教育をしていくことだ。
昔のオヤジのような大黒柱として軸をぶらさない父親。
インターネットが無くハウツー本も少なかった時代に自分流で子育てをした母親。
その軸や流儀は、誰に批判されるものでもなく誰と比較するものでもない。
あえて言えば、子供の笑顔の量とモノサシの正確さは比例するということぐらいだ。
● 直観力
もう一つ重要なこととして、子供に「直観力」を付けさせることが挙げられる。
「これをやったら危険だな」とか、「なんとなくあっちを選択しよう」みたいな直観力もあれば、スポーツや勉強上有利な直観力もある。
では、どこで直感力を学び習得できるのだろうか?
それは、教科書にもハウツー本にも出ていないし、塾に行っても教えてくれない。あくまで、遊びやスポーツ、学校生活などを通じて、友達との群れ社会や親との日常生活の中からという「人間」から学ぶしかない。
直観力に優れている大人は、私生活でも仕事上でも、有利であることは言うまでも無い。
● 長期的視点
更に重要なこととして、子供に「長期的視点」を持たせるよう、しつけや教育をしていきたいものだ。
今日や明日の結果ばかりを求めない。あくまで来年、5年後、50年後という将来のために今日や明日があり、その過程で起こる結果についてはジタバタしないということ。
そのためにパパやママが、日々の結果でジタバタしないようにすべきだろう。
ちょっと株が下がって損したとか、上司からの評価が低かったとかでジタバタしない。
PTAで嫌なことがあったとか、子供の成績表が悪かったとかでジタバタしない。
そんな日々のことよりも、なるべく先のことに視線を定め、悠然と構えるくらいの姿勢を見えることが、子供に長期的視点を養わせるには必要だと思う。
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●● PTA ●●
PTA不要論がある。
でも、PTA会長2年目となった私としては、一言いわせてもらう。
「PTAを無くしてもいいが、その場合、代替策は何?」と。
● 忙しい
サラリーマンなのに会長を担って2年目。私は毎日会社に行かなくてはならないので、委員会とかイベントとかでPTAに顔を出すのは、せいぜい月に数回程度。しかし、お母さんたち、特に役員ともなるとそうもいかない。
昨年度の役員はほぼ毎日、顔を出していたようだ。「毎日行って何やってんの?」なんて他人行儀に聞こうもんなら怒りの鉄拳と同時に“退任届け”が送られてきそうなほど、やることがたくさんある(らしい)。
これじゃ、毎年、担い手が居なくて苦労しているというのも理解できる。今時、世のため人のため子供のためにと、自分の生活を犠牲にしてでもやってくれと言ったって、乗ってくるお母さんが少ないのは疑う余地も無い。
● 無駄
それじゃいかんと、今期は「毎日学校に来なくてもいいように」という基本姿勢を前面に出し、尚且つ「どうせPTA役員やるなら楽しもう」というスローガンにした。
それにしても、何に忙しいのだろうか?
女性たるお母さん役員から見れば必要だが、男性たる私から見れば相当省ける無駄もあるのではと思う。
一例だが、毎年学校で開催する地域のお祭りで、綿菓子を売ることになった。そして綿菓子機が2台あるので、綿菓子の色を2台とも白にするか、1台は白でもう1台は赤にするか、委員会の中で議論となりなかなか決まらない。どうやら赤の方が人気があるのだが、その分どうしても行列が赤側に出来てしまうことが悩みの種らしい。
私としては、行列を待ってでも赤が欲しい人は並ぶわけだし、そうじゃない人はさっさと白に並ぶのだから、赤白両方用意すればいいのではって、30秒で結論を出したいところだが、1週間議論が続いてた。
まあ、そう短絡的に決められないこともあるのだろうが、こんな具合で色々と忙しくなっているってのも事実だと思う。
あと、PTAはあくまでボランティアなのに、役員やっていない一般の父兄から、やたらと細かい注文や文句が来たりする。
それは自分で解決すべきだとか、これは学校側へ意見を言うべきだ、みたいなことまでPTA役員に投げてくることがあり、その応対だけでも相当な時間を費やしているのだろう。
● 楽しい
一方、大して貢献していない私はもちろんのこと、多忙極めているお母さん役員の中にも、PTAを楽しんでいる、やってよかったって人が多くいるのは嬉しい限りだ。
だって、自分の子供が通っている学校のことがわかり、先生たちとも直接意見交換ができ、更に自分の施策や方針が多少なりとも学校教育に反映されるのだから。
また、深いお付き合いの知り合い(親友)ができるのも嬉しいし、子供たちとの接触が増えるのもありがたい。
小学校のPTA役員(委員)は、子供が小学生時代にしかできないことだ。後になって「やっておけば」と言ってもはじまらない。だから是非、「今しかできない」PTA役員をやってみることをお薦めする。
お母さんたちは、ちょっと日中に行くテニスの回数を減らしたり、昼ドラを録画で観るようにしたり、お買い物をまとめ買いに変えるだけで、PTA役員を担う時間が作れる気がする。
お父さんたちは、毎月1~2回程度、平日に会社を休むだけでもいい。その程度休んでも何とかなるだろうし、第一、子供たちのはしゃいでいる声を平日日中に耳にするなんて、すごくハッピーで得した気分になりますよ。
● 何かは必要
役員の忙しさを解消し、楽しめる活動にし、尚且つお父さん達にももっと参画してもらうPTAが私の理想だ。
いずれにせよ、私としてはPTAが必要、いや正確に申すとPTAのような父兄(保護者)を中心とした組織は必要だと思う。
もしPTA(みたいな組織)が無くなると、誰がイベントを企画運営するのだろうか?
地域との交流はどうなるのだろうか?
先生と父兄(保護者)の橋渡しが弱くなるのでは?
忙しい先生たちのサポーターが減るのでは?
子供たちを危険から守る活動(見回り等)などは誰がやるのか?
是非、PTAは不必要とおっしゃっている方々には、これらについて代案を出して欲しいものだ。
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<最後に>(ご挨拶)
先日、仕事でインドに行った際、満面笑顔の小学生たちが登校している姿を見ました。ほぼ全ての子供達が楽しそうに校門に入っていき、手を広げて迎えている先生達に挨拶をしているのです。
一方、日本の子供達は、笑顔登校が5割、更に挨拶までしっかりする子供はその半分程度かなというのが、PTA活動を通じての私の実感です。
なぜ、ゲーム機を3台も持っている日本の子供達よりも、まだまだ貧困層が多くいるインドの子供達の方に笑顔が多いのでしょうか。。。
別の日、同じく仕事でタイに行った際、まだ陽が高い週末の夕方に、汗びっしょりで走り回りながら遊んでいるパパと子供たちが、公園にたくさんいました。
一方、日本の週末、公園などで子供達と走り回って遊んでいるパパの姿は、さほど多くないというのが私の実感です。
ストレスや運動不足解消のためにジム通いをしているパパやママの姿がたくさん目につきます(しかもタクシーで通っている人までいる)。
忙しい中、わざわざ高いお金を払って体を動かすよりも、子供達と遊んだりスポーツしたりしていたほうが、健康上も、資金的にも、そして親子関係上も、断然いいと思うのですが。。。
冷めた(さめた)子供と、冷えた(ひえた)親子関係。
こんな寂しいことはないでしょう。
パパは仕事で忙しい。ママは育児で悩んでいる。
でも、一番大切なことは何なんだろうって、もう一度じっくりと我々親は考えてみたいものですね。
いくら仕事が出来ても、家を省みない人は、本当に仕事が出来る人と言えるのでしょうか?
嫌がる子供に無理矢理勉強させることは、本当に子供にとって良いことなのでしょうか?
パパの給料下がることも、昇進が遅れることも、
ママのプライドが傷つくことも、夢が実現しないことも、
子供のお受験が失敗することも、レギュラーになれないことも、
考えてみればたいしたことでは無い気がします。
子供の笑顔が見られない家に比べれば。
そう、家で見せる子供の笑顔は、どんな物よりも、高い地位よりも、世間の評判よりも、何千倍も何万倍も価値がある。
これが6回に渡る私のブログで言いたかったことです。
(以下、ご参考までに過去号のご紹介です)
第一号では、天才バカボンのパパや、その家族みたいになりたい、と書きました。
http://ikuji.coop/blog4/?p=68
第二号では、育児という「楽しい機会」を、パパはもっとやったらいいよ、と書きました。
http://ikuji.coop/blog4/?p=73
第三号では、悪さする子供を肯定することと、パパの地域デビューについて、書きました。
http://ikuji.coop/blog4/?p=77
第四号では、難しいといわれている夫婦間コミュニケーションについて、書きました。
http://ikuji.coop/blog4/?p=81
第五号では、パパ達が語る飲み屋からの本音トークを、お送りしました。
http://ikuji.coop/blog4/?p=86
2ヶ月間、皆さんから幾通ものメッセージに励まされ最後まで書き通すことが出来ましたこと、まずは感謝申し上げます。
また、自分の考えがまとまり、自己矛盾に気が付き、自省するきっかけを与えてくれた生協の皆様にも深謝いたします。
尚、育児や教育の専門家でもなく、全くの素人のくせして、生意気な発言が多かったこと、改めてお詫び申し上げます。
川島高之
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「さらば!激動の平成20年 田中尚人」
年内の連載は、これで最後になります。
前回、春の連載では、生後1週間の女の子と2歳後半の 男の子との奮闘ぶりを、奥平亨パパが人肌感の温かく伝わる育休日 記にしてくれました。
3月末に小さく生まれた女の子のモモコちゃんも、そんなこと忘れちゃうぐらいにしっかりと育って、8ヶ月になります。
3歳になったコータロー君は、パパとのお出かけが好きな「やんちゃ 坊主」に成長しつつある様子です。
今回は、大手商社に勤めつつ、PTA会長、少年野球のコーチ、NPO 法人ファザーリング・ジャパンの理事も勤めるウルトラパパ、川島 高之パパと、小学生との付き合い方から始まって、なかなか書き辛 いはずの「夫婦」の話まで、少しだけオトナの匂いの連載になりました。
川島さん、バイタリティ溢れる直球勝負の考察と提議の数々、正直言って恐れ入りました。
第一読者の僕は、何度も何度も頷きながら読んだせいか、クビがちょっと痛いかも。わはは。
いぢちさんのマンガは、はっきり言って、連載のオアシスでした。
犬キャラのパパに、毎回とてもとても共感でした。
さあ、来年がいったいどういう年になるのか、連載は続くのか、子育て環境はやはり悪化の道を辿るのか、なんとも分かりませんが、 子どもたち、パパやママそして、ジジババたちにとって、穏やかな笑顔に溢れた毎日であってほしいと心から思います。
いえ、笑ってるだけでなく、時には怒ったり、泣いたり、大騒ぎしたり・・・とにかく喜怒哀楽のメリハリのある生活が僕は気に入ってますが。


4件
a
2008/12/12 08:39
● イライラ
ウチには4歳と1歳の息子達が居るのですが、
妻がイライラしていると、どうしても伝染してこちらもイライラしてしまう。
しかし、これはイライラの悪循環だと思い考えてみた。
イライラするという事は、妻のキャパが割れているということなんだきっと。
だからイライラしている時こそ逆にフォローが必要なんだ。
そう思って、妻がイライラしている時に、こちらもトゲトゲするんではなく
笑いかけて、優しくハグしてみる事にした。
それで、当てつけにならないように、サラッと妻のしている事を手伝うと、
妻の表情から、みるみる怒りが取れていきました。
怒りに怒りで対抗しても、より大きい怒りに発展するだけ。
でも、愛情を持って対応すれば、意外と早く溶けていくものなんだな。
と思いました。
すみません。
自分のブログは妻も見ているので、勝手にココに書いちゃいました。
連載お疲れ様でした。
良いお年を。
愛読者R
2008/12/12 15:51
川島さん、連載お疲れ様でした。
田中さんが最後のほうにまとめていただいたように、私も何回もうなずいたために首がいたいです。
男の方たちが、川島さんや田中さんのように、一生懸命子育てに向き合っているのを耳にすると、女性としてもすごく嬉しくなります。
また、男の方の考え方が少しでも垣間見れて、参考になりました。
今回で終わらずにまた連載して欲しいです、お願いします。
父兄代表
2008/12/15 22:41
連載ご苦労様でした。
色々と勉強になりましたが、実行するのは難しいかも。
でも、今回のブログに書いてあったようなことを意識しながら生活していると、必ず部分的でも身に付くのかなと思えてきます。
また次の連載楽しみにしています。
サンタさん
2008/12/25 07:29
この生協ブログに訪れる読者さんたちの大半は、「ステキなパパとママ」だと思います。だって、訪れるからには、高いマインドや意識を持っている証だから。
私は、良いパパ良いママの基準はひとつだと思います。
それは、高いマインドや意識を持っていること。
持っていさえすれば、子どもにとって本当は何が一番なのかを考え、社会や地域に対し責任を持ち、親や高齢者を尊重し、仕事も一生懸命行うはずなので。
個人的には、お受験よりもスポーツを、テレビゲームよりも外遊びを子どもたちにはさせたいのですが、まあそれは人それぞれ。
個々の事象や行動について、あまり他人批判したり、逆に他人の意見に左右されたりする必要はないでしょう。
あくまで「高いマインドをもって、真摯に子・親・地域・学校、そしてパートナー」に接することが大切だと思います。
では、Merry X’mas and happy new year!